さいたま市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
さいたま市(さいたまし)は、埼玉県の南東部に位置する市で、同県の県庁所在地である。政令指定都市。
目次 |
概要
2001年5月1日、浦和、大宮、与野の3市の合併により成立した。政令指定都市及び業務核都市に指定されている。2005年4月1日には岩槻市を編入し、岩槻区が誕生した。
日本で10番目に多くの人口を抱える都市であり(東京特別区を1都市として数えた場合)、新幹線をはじめ周辺各地の広域鉄道路線が集結する交通の要衝でもある。
市勢
- 面積:217.49km²
- 人口:1,189,538人
- 男性:597,022人
- 女性:592,516人
- 世帯数:487,270世帯
- 人口密度:5,469人/km²
(2007年8月1日現在、面積以外は推計人口による)
| さいたま市と全国の年齢別人口分布図(比較) | さいたま市の年齢・男女別人口分布図 | ||||||||||||||||||
|
■紫色はさいたま市
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||
| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
健康
(2007年4月1日現在)
- 平均年齢:40.97歳(男=40.02歳、女=41.93歳)
インフラ整備の状況
- 下水道普及率:81.3%(平成17年度末)
地理
- 日本の首都である東京の都心部から北に約20-30km、関東平野の中央部に位置する。埼玉県の南東部にあたるが、県内の区分では中央地域とされることが一般的である(県最西部は「西部地域」ではなく「秩父地方」と呼ばれ、その東側即ち県中南部にあたる入間地方、比企地方等が「西部地域」と呼ばれることが多いため)。また、東京から最も近い県庁所在都市である。
- 関東平野に位置する当市には山岳・丘陵といえる地域は存在せず、全域が台地及び低地からなる。海抜が20mを超える地区は殆どない。荒川の近い市西部に低地が広がるほか、元荒川や芝川、綾瀬川などの中小河川周辺に谷状の地形がみられる。市中央部・東部はこのような低地・谷地を除けば市の北方から市南部に連なる大宮台地上に位置する。主な河川は殆どが北から南に流れており、東西に並列している。
- 気候はケッペンの気候区分に基づけば温暖湿潤気候(Cfa)に属するが、本州の太平洋側に一般的に見られるように夏季に比べ冬季の降水量が少なく、またその傾向も顕著である。アメダスのさいたま観測点(桜区にある)における1979年-2000年の22年間の記録によると、年平均気温は14.6℃、年間平均降水量は1338.0mmである。
- 内陸にある市としては札幌市、京都市に次ぐ人口を有する一方、面積は217.49平方キロメートルであり、政令指定都市としては川崎市、堺市に次いで3番目に狭い。ただし、埼玉県内では秩父市に次いで2番目に広い。
- また、さいたま市は内陸県にある唯一の政令指定都市である。
- 東北新幹線と上越新幹線が分岐し、多くの在来線の路線も交錯、また東北自動車道、東京外環自動車道などの高速道路も通過する首都圏北側の交通の要衝といえる。
- 市街地は浦和駅、さいたま新都心駅、大宮駅といった東北本線沿いの、南北に細長い地域を中心に広がっている。
河川・湖沼
歴史
沿革
さいたま市成立以前の年表は、さいたま市の新設合併に関するもののみ記載。それ以外の構成旧市ごとの歴史については、浦和市、大宮市、与野市、岩槻市、またはこれらの市に編入された町村の記事を参照。
- 1980年(昭和55年)10月 - 県南中央地域の都市間相互のゆるやかな連合を掲げ、浦和市、大宮市、上尾市、与野市、伊奈町の4市1町および埼玉県による「埼玉中枢都市首長会議」が発足。
- 1982年(昭和57年)4月 - 従前の首長会議の名称を「埼玉中枢都市圏首長会議」に変更。
- 1982年(昭和57年)9月 - 「埼玉中枢都市圏構想・基本構想」策定。
- 1985年(昭和60年)12月 - 「埼玉中枢都市圏構想」の名称を「さいたまYOU And Iプラン」(構成4市1町の英表記頭文字を組み合わせた名称)に変更。
- 1990年(平成2年)7月 - 「政令指定都市化」を公約にして、新藤享弘が大宮市長に就任。だが、単独での実現は現実的には無理で、合併による政令指定都市化を目指すものだった。これには与野市長の井原勇も同調した。
- 1991年(平成3年)4月 - 「政令指定都市化」を公約にして、相川宗一が浦和市長に就任。これに難色だった現職の中川健吉を破っての就任であった。
- 1992年(平成4年)4月 - 国土庁が4市1町の圏域を「埼玉中枢都市圏域業務核都市基本構想」として承認。
- 1993年(平成5年)6月 - 旧国鉄操車場跡地に、国の10省庁17機関の移転決定。
- 1993年(平成5年)12月 - 4市1町の強固な連合を目標とした「彩の国YOU And Iプラン」を策定。以後、合併政令指定都市化の動きが活発化する。
- 1995年(平成7年)7月19日 - 上尾市が、浦和市・大宮市・与野市からの合併協議会設置請求に対し拒否回答。
- 1997年(平成9年)12月18日 - 浦和市・大宮市・与野市による任意協議会設置。
- 2000年(平成12年)4月29日 - 3市による法定協議会設置。
- 2000年(平成12年)9月5日 - 合併協定調印式
- 2000年(平成12年)9月25日 - 合併関連議案を、3市の市議会が可決。
- 2000年(平成12年)12月22日 - 合併関連議案を、埼玉県議会が可決。
- 2001年(平成13年)1月25日 - 官報告示
- 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市、大宮市、与野市が合併し、さいたま市発足。
- 2001年(平成13年)7月29日 - 上尾市が、「さいたま市との合併の是非を問う住民投票」を実施し、その結果は「反対(58.3%)」・「賛成(41.7%)」となった。
- 2001年(平成13年)8月6日 - 伊奈町が、「合併協議を断念する」と返答する。
- 2001年(平成13年)8月8日 - 上尾市が、「合併協議を辞退する」と正式に返答する。
- 2002年(平成14年)3月19日 - さいたま市議会が、「政令指定都市の実現に関する意見書」を可決。
- 2002年(平成14年)3月20日 - さいたま市が、埼玉県知事・埼玉県議会に政令指定都市移行促進について要望。
- 2002年(平成14年)6月28日 - 埼玉県議会が、「政令指定都市の指定促進に関する意見書」を可決。
- 2002年(平成14年)8月9日 - さいたま市が、総務大臣に政令の改正(政令指定都市移行)を要望。
- 2002年(平成14年)10月25日 - 閣議決定
- 2002年(平成14年)10月30日 - 政令公布
- 2002年(平成14年)11月20日 - さいたま市議会が、「政令指定都市関連議案(区の設置並びに区の事務所の位置、名称及び所管区域を定める条例案)」を可決。
- 2003年(平成15年)1月26日 - 岩槻市が、「岩槻市の合併に関する住民投票」を実施し、その結果は「さいたま市との合併(52.6%)」・「合併しない(38.8%)」・「春日部市、宮代町、杉戸町、庄和町との合併(8.5%)」となった。
- 2003年(平成15年)2月5日 - これを受けて、岩槻市はさいたま市に対して合併協議を申入れる。
- 2003年(平成15年)2月24日 - さいたま市は、「岩槻市との合併について検討に入る」と返答する。これを受け、岩槻市議会が「さいたま市との任意協議会設置に関する決議案」を可決。
- 2003年(平成15年)3月12日 - さいたま市議会が「岩槻市との任意協議会設置に関する決議案」を可決。
- 2003年(平成15年)4月1日 - 政令指定都市に指定、9つの行政区が発足。
- 2003年(平成15年)4月21日 - 2市で連絡会「さいたま市・岩槻市合併問題連絡会議」設置。
- 2003年(平成15年)7月15日 - 2市による任意協議会「さいたま市・岩槻市任意合併協議会」設置。
- 2004年(平成16年)6月25日 - 2市による法定協議会設置。
- 2004年(平成16年)8月24日 - 合併協定調印式
- 2004年(平成16年)9月29日 - 合併関連議案を、岩槻市議会が可決。
- 2004年(平成16年)10月13日 - 合併関連議案を、さいたま市議会が可決。
- 2004年(平成16年)12月20日 - 合併関連議案を、埼玉県議会が可決。
- 2005年(平成17年)1月26日 - 官報告示
- 2005年(平成17年)3月25日 - さいたま新都心へのさいたまタワーの誘致に失敗。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 岩槻市を編入合併し、旧岩槻市の市域を区域とする岩槻区が発足。
地区
さいたま市は浦和市、大宮市といった人口規模のほぼ同じ市をはじめとする複数の市が対等の地位で合併したという側面が強い。さらに成立してまだ日が浅いことから、市の歴史は旧4市それぞれについて個別に記述されることが多い。
- 近世の浦和は中山道の宿場町(浦和宿)として、大宮は中山道の宿場町(大宮宿)や武藏一宮氷川神社の門前町として、与野は脇街道の宿場町として誕生・拡大してきた。一方岩槻は岩槻城(岩付城・岩附城)の城下町および日光御成街道の宿場町として発展してきた。また旧浦和市内には他に、大門(緑区の美園地区)にも日光御成街道の宿場がおかれていた。
- 旧浦和市は埼玉県庁が置かれて以来裁判所、県警察など行政機能が集積し、埼玉県の行政の中枢として発展した。また「鎌倉文士に浦和画家」という言葉からも分かるように、旧浦和市は瑛九や高田誠など多くの画家の活動の舞台でもあっり、同時にサッカーの盛んな地としても知られる。また、旧市内には埼玉大学や浦和高校、埼玉県立浦和図書館が設置されているために、現在でも旧浦和市地域の市民の教育レベルが高いと言われ、「文教都市」ともいわれている。
- 旧大宮市は明治時代の熱心な鉄道誘致により、大宮駅北側に国鉄大宮工場が建てられ、南側(旧与野・浦和両市にもまたがる)に貨物操車場が設置されるなど「鉄道の街」と呼ばれるようになった。戦後、多くの大企業が埼玉県内の営業拠点として大宮を選んだために商業、業務機能が集積し、「経済都市」とも言われ、埼玉県の商業の中心地となった。そのため、大宮には埼玉県内全域はもとより栃木県、群馬県、東京都からも多くの買い物客が訪れる。また東北・上越新幹線が開業後に、両新幹線の沿線では盛岡・新潟と並び、特に新幹線効果を享受した都市として知られる。なお、旧与野市や旧浦和市にもまたがる貨物操車場は1984年に廃止されたが、その跡地は後にさいたま新都心となった。
- 旧与野市は国道17号沿いに自動車関連工場や自動車ディーラー店が多く建てられたため、「自動車の街」と呼ばれていた。
- 旧岩槻市は東武野田線・岩槻駅東口を中心としてひな人形を専門とする人形店が集積しており、「人形の街」として全国的に知られる。東京7号線(埼玉高速鉄道)の延伸が計画(蓮田まで)されており、ほぼ同じルートだと言われる武州鉄道のときに果たせなかった、東京都心への直通列車の完成が待たれている。
- なお、2001年の合併時には浦和と大宮の関係をアメリカ合衆国のワシントンとニューヨークになぞらえて、「新しい市は、『政治と教育の中心』浦和と『経済の中心』大宮が上手く並存した街にしたい」と言う意見が聞かれた。
浦和と大宮の関係
さいたま市は浦和と大宮というほぼ同規模の都市の合併を伴って誕生した経緯もあり、しばしば旧市間の軋轢が指摘される。これに関連して、いくつかの点についてまとめる。
埼玉県庁の位置に関して
埼玉県では、明治維新以降度々県庁の位置をめぐる綱引きが行われており、その多くに浦和・大宮が関わってきた。1869年以降県庁が置かれる浦和、交通の要衝である大宮、旧城下町であり一時は埼玉県庁の設置が予定されていた岩槻と、県庁をめぐる様々な動きの渦中にあった三つの街が、一つの大都市となる珍しい経緯を持つことになった。
- 1869年(明治2年) - 1月、大宮県が誕生。名目上の県庁所在地は大宮宿であったが、実質的な県庁機能は殆どなかった。9月、浦和住民の土地の提供や川口住民の請願により、県庁は浦和宿に置かれることとなり(設置は翌10月)、県名も浦和県に改称。
- 1871年(明治4年) - 7月、廃藩置県により岩槻藩が岩槻県になる。11月、岩槻・浦和・忍の3県が合併して、埼玉県が誕生。太政官は県庁を岩槻町におくよう達したが、県令野村盛秀の巡視の結果、当分の間旧浦和県庁で執務が行われることとなる。
- 1876年(明治9年) - 8月、熊谷県のうち旧入間県部分と埼玉県が合併、現在の埼玉県の領域がほぼ確定する。この際、県庁所在地は浦和宿となった。
- 1886年(明治19年) - 1884年(明治17年)の秩父事件への対応の遅れなどから県庁所在地の偏りの弊害が指摘され、熊谷町への移転運動が浮上。しかし熊谷に支庁を設置することで対応し、県庁は浦和に残る。
- 1890年(明治23年) - 9月25日、勅令により、正式に浦和町が県庁所在地となる。
- 1897年(明治30年) - 12月15日、埼玉県議会が熊谷町への移転建議を可決。しかし、翌1898年(明治31年)1月27日、内務省より「不可」との通知が下る。
- 1948年(昭和23年) - 10月25日、放火により県庁の大部分が焼失すると、その後3日のうちに大宮、熊谷が県庁の誘致に乗り出し、浦和、大宮、熊谷3市の激しい誘致合戦となる。
- 1950年(昭和25年) - 県庁復興対策特別委員会における浦和と大宮の決選投票の結果、県庁の浦和市残留が決定。
鉄道駅に関して
県庁、および県内の主要な教育施設が設置されてきた浦和は数多くの行政施設、文化施設が設置され「県都」、「文教都市」として発展してきた。一方、新幹線など多くの鉄道の結節点となっている大宮駅を擁する大宮は、交通の要衝であるほか、埼玉県有数の経済都市として発展した。なお2006年度のJR大宮駅の1日平均乗車人員は233,719人でこれは、JR東日本では新宿・池袋・渋谷・横浜・東京・品川・新橋に次ぎ8位である。
- 1883年(明治16年) - 8月、日本鉄道により現在の東北本線及び高崎線の一部、上野~熊谷間の鉄道が開通。県庁所在地である浦和に駅が設置される。大宮には駅が設置されなかった。
- 1885年(明治18年) - 3月、大宮に駅が設置される。7月、現在の東北本線の大宮~栗橋間の鉄道が開通。建設にあたり鉄道の分岐点としてさまざまな案が出されその中で浦和、大宮はともに候補として挙げられていた。しかし大宮住民の土地の提供などの誘致運動や鉄道が浦和分岐となることで分岐した北側で経由することになる岩槻の住民による鉄道反対運動(これについては鉄道忌避伝説によるものとの疑いも否定できない)、アメリカ人技師のクロフォードによる大宮案の支持などにより、分岐点案は最終的に大宮と桐生・足利などの機業家の支持を受けた熊谷の2案で争われ、コスト面から大宮に決定した。
- 1894年(明治27年) - 大宮駅に鉄道工場が併設される。
過去の合併構想
第二次世界大戦前から浦和と大宮の合併(官選の宮脇梅吉知事による「大埼玉市構想」など)や蕨、川口などを巻き込んださらに大きな規模が構想されたこともあったが実現されることは無かった。
- 1927年(昭和2年) - 宮脇梅吉が埼玉県知事に就任。浦和・大宮・与野の三町と六辻・三橋の二村の合併による一大都市圏構想を打ち出す。当時、埼玉県内で市制を施行したのは川越市だけであった。
- 1931年(昭和6年) - 宮脇梅吉が再び埼玉県知事に就任。日進を加えて三町三村の合併による「大埼玉市構想」として打ち出す。
- 1933年(昭和8年) - 熊谷・川口が相次いで市制を施行。合併論が再燃する。
- 1934年(昭和9年) - これを受けて、「埼玉県南水道組合」(後の埼玉県南水道企業団で、現・さいたま市水道局)が設立。後の合併の礎となる。
- 1939年(昭和14年) - 浦和市が、与野・六辻と戸田・蕨等の一市三町六村での合併を呼びかけ。大宮町も、浦和・与野との一市二町での合併案で対抗する。
- 1940年(昭和15年) - 埼玉県が仲裁に入り、大宮案での合併交渉に入る。六辻・日進を加えて一市三町五村での合併で一応の合意。しかし、各論では反対が続出して交渉は打ち切りとなる。
- 1942年(昭和17年) - 与野町で大宮市への合併運動が起きる。
- 1943年(昭和18年) - これを受けて、埼玉県知事の大津敏男は浦和・大宮・与野との二市一町での合併構想を打ち出す。
- 1954年(昭和29年) - 埼玉県が、いわゆる「昭和の大合併」の合併試案で、二市一町と大久保・土合の二村を加えての合併試案が示される。またもや、各論では反対が続出して交渉は打ち切りとなる。
- 1962年(昭和37年) - 浦和市議会が、三市と川口・蕨での五市合併を呼びかけ。第一段階で三市、第二段階で川口・蕨との合併をすると言うものだった。
- 1973年(昭和48年) - 三市の市長が合併に関して初会談。また、北九州市の合併推進派の理論的支柱となった、都市社会学者の磯村英一が、三市について「合併しなければ、背を向け続けるであろう」と警告。
さいたま市役所の位置に関して
旧浦和、大宮、与野市の中間にさいたま新都心が建設されてからは、さいたま新都心が浦和・大宮両都心に次ぐ「第三極」となっている。このことから大宮市は合併時に、新市の名称を「大宮市」とする主張を取り下げるかわりに新市庁舎のさいたま新都心への建設を主張したが、結局「さいたま新都心周辺地域が望ましいとの意見を踏まえ、将来の新市の事務所の位置についての検討や庁舎建設基金を創設を行う」という玉虫色の妥結がとられている(#名称問題を参照)。また合併した三市の他にYOU And I(与野・大宮・浦和・上尾・伊奈から頭文字が取られている)構想に組み込まれていた上尾市と伊奈町も合併すると新市の地理的中心は旧大宮市となることから、大宮市議会は上尾市の合併離脱を取り下げるよう説得を行っていた。また、旧大宮市の中央に位置した富士重工の工場跡地を再開発する「北部拠点宮原土地区画整理事業」の一角に北区の区役所が設置されているが、かつて大宮市議会は、ここに大宮市の新しい市役所を建設する計画があったために、新市の市役所として活用する案を推していた。政令指定都市に移行時に建設された北区役所の庁舎はプレハブ造の仮庁舎で業務をしていたが、建設予定地だった場所に北区役所本庁舎を中心とした「プラザノース」が建設され、2008年4月28日に新庁舎での業務を開始した。この北区役所の周辺の土地は長く更地の区画が多かったが、建築物が建つようになりつつある。だが、どれも仮設的に建設されたものが多いために再々開発される可能性は残されている。ただし、財政上の問題もあり早急な市役所本庁舎の移転建設は予定されていない。
名称問題
浦和市、大宮市、与野市の三市が合併する時に、新しい県庁所在地に相応しい名称ということで公募を行った上で、県名をひらがなにした『さいたま市』に決定した。全国で唯一、ひらがな名称の県庁所在地である。さいたま市の「さ」の字体は、2画目と3画目が連続した字体(「ち」の鏡文字)を正式としており、フォントによっては作字もした上で市報などの活字を全て統一しているが、市民などが住所を表記する際にはどちらでも構わないとしている。
市名公募の結果では、『さいたま市』という名称は2位であり、1位は漢字の『埼玉市』であった。また合併を構成する各市の名称を用いる案は『大宮市』が3位、『浦和市』が6位、『与野市』は100位以内に入らなかった。公募後、新市名検討委員会は『埼玉市』(公募1位)・『さいたま市』(2位)・『彩都市』(5位)・『さきたま市』(7位)・『関東市』(37位)の5案を市名候補とした。しかしその後の議論では『さいたま市』を推す浦和市・与野市に対し、大宮市がこの5案になかった『大宮市』(公募3位)を主張した。最終的に大宮市は新市の事務所(市役所)の位置について、「さいたま新都心周辺地域が望ましいとの意見を踏まえ、将来の新市の事務所の位置についての検討や庁舎建設基金を創設を行う」旨を合併協議書に盛り込ませることで、この主張を取り下げた。
『埼玉』の地名は、本来は埼玉郡埼玉村(現在の行田市大字埼玉〈さきたま〉)に由来している。この事から、『埼玉』の由来とは無縁で、北足立郡に属する本地域にできた市が『埼玉』『さいたま』を称する事には、「僭称地名だ」とする否定的な意見がある。また、行田市から、行田市周辺が将来合併する時に用いる可能性があるからという理由で新しい名称に『埼玉』『さいたま』を使わないで欲しいという要望も出たが、これはすでに浦和市・大宮市・与野市合併協議委員会の新市名発表の後であり、考慮されなかった(なお、さいたま市発足後に合併した旧岩槻市は南埼玉郡に属する)。 単に市名をひらがなにする事に対しては、同時期に合併が行われた『東かがわ市』『さぬき市』(いずれも香川県)などと共に批判も多い。だが、この『さいたま市』『東かがわ市』以後、全国各地でひらがな名称の市町村や企業が続々と誕生している。なお、中国語などでの表記は『埼玉市』である。
このほか、区名についても批判がある。
名称選定までの推移
- 1997年(平成9年)
- 12月18日 - 任意協議会「浦和市・大宮市・与野市合併推進協議会」が設置される。
- 1998年(平成10年)
- 1999年(平成11年)
- 8月31日 - 第14回第2小委員会開催。新市名検討委員会の報告に基づき、市名の公募の実施が合意される。
- 2000年(平成12年)
- 1月10日 - 市名の公募が実施される。期限の2月18日までに全国から67,665件、8,580種類の応募がなされる。
- 3月26日 - 新市名検討委員会での検討の結果、『埼玉市』(公募1位)・『さいたま市』(2位)・『彩都市』(5位)・『さきたま市』(7位)・『関東市』(37位)の5案が市名候補として選考され、第2小委員会委員長及び小委員会に報告される。
- 4月4日 - 第22回第2小委員会が開催。浦和市・与野市から『さいたま市』(公募2位)、大宮市から『大宮市』(3位)の2つの市名案が提案される。尚、『大宮市』の名称は新市名検討案の市名候補5案にはないものだった。
- 4月11日 - 第23回第2小委員会が開催。『埼玉』などの名称を使用しないで欲しいとする要望書を提出した、行田商工会議所会頭・行田市埼玉地区自治会連合会会長が招聘される。
- 4月17日 - 第25回第2小委員会が開催。新市名を『さいたま市』とすることが合意される。
- 4月24日 - 第21回合併推進協議会が開催。新市名を 『さいたま市』(公募2位)とする旨委員長報告があり、議案が提出。即日議決される。
- 4月29日 - 法定協議会「浦和市・大宮市・与野市合併協議会」が設置される。
市名公募の結果
応募総数67,665件、うち無効269件
| 順位 | 市名 | 応募件数 | 順位 | 市名 | 応募件数 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1位 | 埼玉市 | 7,117 | 11位 | 浦野宮市 | 920 |
| 2位 | さいたま市 | 3,821 | 12位 | 和野宮市 | 875 |
| 3位 | 大宮市 | 3,008 | 13位 | 埼京市 | 827 |
| 4位 | 彩玉市 | 2,588 | 14位 | 新埼玉市 | 771 |
| 5位 | 彩都市 | 2,495 | 15位 | 彩の国市 | 685 |
| 6位 | 浦和市 | 1,821 | 16位 | 大浦野市 | 579 |
| 7位 | さきたま市 | 1,374 | 17位 | 彩央市 | 506 |
| 8位 | 大和野市 | 1,131 | 18位 | 宮野浦市 | 488 |
| 9位 | 彩京市 | 1,025 | 19位 | 氷川市 | 486 |
| 10位 | 彩市 | 962 | 20位 | 大野浦市 | 479 |
| 37位 | 関東市 | 217 |
行政区と「区の色」
| この項目では色を扱っています。 閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。 |
以下の10区で構成される。「区の色」は市内の小中学生から募集し、区のイメージカラーとして2005年4月に制定された。市の広報誌やポスター等に使用されている。
|
|
※中央区には旧浦和市(上木崎1丁目)・大宮市(錦町・吉敷町2丁目・北袋町1丁目)のうち東北本線線路西側の地区が含まれ(現在の地番は「新都心」)、大宮区には旧浦和市の大原6・7丁目が含まれるなど一部旧市域と異なる地区あり
政治
- 2001年5月27日 - 初の市長選挙。前浦和市長の相川宗一(自由党推薦)が当選。
- 2003年4月13日 - 初の市議会一般選挙。議員定数を64に削減。
- 2004年12月26日 - 南区選出議員の補欠選挙。
- 2005年5月15日 - 市長選挙。岩槻区選出議員の増員選挙。浦和区選出議員の補欠選挙。議員定数を71に増加。
- 2007年4月8日 - 市議会一般選挙。議員定数を64に削減。
行政
(旧与野市長の井原勇が2001年5月1日-2001年5月26日の間、合併に伴う市長選挙実施までの市長職務執行者となった。井原は2007年10月7日に80歳で死去。)
過去の市長選挙
| 当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 市長歴 |
|---|---|---|---|---|
| '当 | 135,553 | 相川宗一 | 無所属 | 現 |
| 121,735 | 中森福代 | 無所属 | 新 | |
| 63,880 | 沼田道孝 | 無所属 | 新 |
さいたま市議会
- 市議会議長:青羽健仁
- 市議会副議長:日浦田明
- 会派別議員数
| 会派名 | 西区 | 北区 | 大宮区 | 見沼区 | 中央区 | 桜区 | 浦和区 | 南区 | 緑区 | 岩槻区 | 計 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 計 | 4 | 7 | 6 | 8 | 5 | 5 | 8 | 9 | 6 | 6 | 64 |
| 自由民主党[1] | 2 | 2 | 2 | 3 | 2 | 2 | 2 | 4 | 2 | 2 | 23 |
| 公明党[2] | 1 | 1 | 1 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 11 |
| 民主党[3] | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 10 |
| 日本共産党[4] | 0 | 1 | 1 | 2 | 1 | 0 | 1 | 1 | 1 | 0 | 8 |
| 無所属の会 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 1 | 4 |
| 自治ネット[5] | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 |
| 行政研究会 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 |
| 無所属[6] | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 3 |
- ^ 自由民主党さいたま市議会議員団
- ^ 公明党さいたま市議会議員団
- ^ 民主党さいたま市議会議員団
- ^ 日本共産党さいたま市議会議員団
- ^ 自治ネット議員団
- ^ 申し合わせにより、無所属の議員は本会議で発言することが認められていない。
国の出先機関
- 裁判所
- 法務省
- 厚生労働省
- 財務省
- 関東財務局(さいたま新都心合同庁舎1号館)
- 関東信越国税局(さいたま新都心合同庁舎1号館)
- 関東信越国税不服審判所(さいたま新都心合同庁舎1号館)
- 浦和税務署
- 大宮税務署
- 警察庁
- 関東管区警察局(さいたま新都心合同庁舎2号館)
- 防衛省
- 北関東防衛局(さいたま新都心合同庁舎2号館)
- 陸上自衛隊大宮駐屯地(北区)
- 総務省
- 関東管区行政評価局(さいたま新都心合同庁舎1号館)
- 農林水産省
- 関東農政局(さいたま新都心合同庁舎2号館)
- 消費・安全部地域第一課(浦和区)
- さいたま統計・情報センター(さいたま新都心合同庁舎2号館)
- 経済産業省
- 関東経済産業局(さいたま新都心合同庁舎1号館)
- 関東東北産業保安監督部(さいたま新都心合同庁舎1号館)
- 国土交通省
- 環境省
- 関東地方環境事務所(明治安田生命さいたま新都心ビル(L.A.タワー))
- 人事院
- 関東事務局(さいたま新都心合同庁舎1号館)
県の出先機関
- さいたま農林振興センター(浦和区)
- さいたま県土整備事務所(南区)
- 企業局大久保浄水場(桜区)
- 企業局第一水道建設事務所(大宮区)
- 中央産業労働センター(浦和区)
- 埼玉県計量検定所(北区)
- 埼玉県創業・ベンチャー支援センター(中央区)
- 職業能力開発センター(北区)
- ヤングキャリアセンター(大宮区)
- 埼玉県動物指導センター南支所(桜区)
- 埼玉県衛生研究所(桜区)
- 埼玉県南児童相談所(浦和区)
- 中央環境管理事務所(浦和区)
- 浦和県税事務所(浦和区)
- 大宮県税事務所(大宮区)
- 自動車税事務所(西区)(納税部門は大宮区)
- 埼玉県男女共同参画推進センター(WithYouさいたま)(中央区)
- 競技事務所(大宮区)
- 中央地域創造センター(浦和区)
- パスポートセンター(大宮区)
- 南部教育事務所(浦和区)
- 埼玉県立総合教育センター(緑区)
- 埼玉県立文書館(浦和区)
消防
警察
第一方面本部、さいたま市警察部、交通管制センターを併設
その他警察施設
大宮駅派遣所 さいたま新都心駅派遣所
経済
産業
- 主な産業
- 第3次産業が中心である。
- 主な企業
- アイダ設計
- アライヘルメット
- 亜細亜堂
- 安楽亭(安楽亭、七輪房、からくに屋、素材市場、ヴァリエ、素苑、アグリコ、ビーンズ、春秋亭、龍饗)
- イエローサブマリン
- 伊藤製パン(伊藤パン)
- リズム時計工業
- ウエルシア関東 - イオン・ウエルシア・ストアーズのグループ事業
- 栄光(栄光ゼミナール)
- 大川ホールディングス
- 大宮ソフト
- カッパ・クリエイト(かっぱ寿司)
- カルソニックカンセイ
- 北川鉄工所関東工場・東日本サービスセンター
- 埼玉高速鉄道
- サイデン化学東京工場・浦和工場
- 島忠(島忠、エッサン、ホームズ)
- しまむら(ファッションセンターしまむら、アベイル、バースデイ、シャンブル、思夢樂)
- 大正製薬大宮工場
- タムロン
- ドイト(ドイト、タウン・ドイト、ガーデンセンター花ノ木)
- とんでん
- ハイデイ日高(日高屋、来来軒、台南市場、文楽座)
- フジノン
- 富士薬品(ドラッグセイムス)
- ボックスグループ(ドキドキ冒険島、スーパーソフトボックス)
- マミーマート
- マミヤ・オーピー
- 三菱マテリアル大宮研究センター
- 八木アンテナ
- 与野フードセンター(与野フード、ワイバリュー、バリュー・フードガーデン)
- ロッテ中央研究所・浦和工場
- 富士ゼロックス岩槻事業所
- 金融機関
- マスメディア
文化
教育機関
小中学校及び高等学校、特別支援学校等は各区を参照。
- 埼玉大学
- 放送大学学園埼玉学習センター
- 芝浦工業大学大宮校舎
- 浦和大学
- 慶應義塾大学薬学部浦和共立キャンパス(旧共立薬科大学浦和校舎)
- 日本大学法学部大宮校舎
- 産業能率大学北関東事業センター
- 目白大学岩槻キャンパス
- 人間総合科学大学
- 国際学院埼玉短期大学
- 浦和大学短期大学部
- 大宮法科大学院大学
公立小学校の飽和問題
人口増加の続くさいたま市では、「過大規模」とされる小学校の多さが指摘されている。2002年の時点では、全国に17校しかなかった「児童数1200名以上の公立小学校」のうち4校がさいたま市で占められており、更に2005年、2006年にはそれが5校に増加した(南区の沼影小、大宮区の三橋小、北区の宮原小・大砂土小、見沼区の大砂土東小)。また一般に「過大規模」とされる31学級以上の小学校も2006年現在で9校(上記に加え南区の辻小、北区の日進小・日進北小、見沼区の春岡小)ある。これに鑑み、さいたま市では教育委員会内に「大規模校教育環境整備推進検討会議」、「大規模校解消プロジェクト会議」が設置され、大規模校の施設改善のあり方・地区の実情に合わせた学校新設・通学区域の見直し等の全市的な取り組みが始められている。また、2007年には南区に「辻南小学校」が開校し、北区に「つばさ小学校」の新設が2009年に予定されている。
また、桜区の東日本鉄鋼工場跡地に862戸のマンション建設計画があり、住民説明会では1,000人の児童が増えることが見込まれるという説明があったが、市当局は2006年1月20日の審議会でマンションの世帯数から実際の児童数は100人から150人にとどまるだろうという見解を示している。[1]
