ねぶた

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大湊ネブタ(文京町々内会)、2003年。

ねぶたねぷたは、東日本各地、とりわけ青森県内の各地で行われる夏祭りの一種。

全国的に有名なのは、青森ねぶた弘前ねぷたである。これらは、1980年重要無形民俗文化財に指定されている。以下、青森県のねぶたを中心に記載する。

目次

[編集] 概要

青森県では、8月初旬頃に行われ、大勢の市民が「ヤーレ、ヤーレ、ヤーレヤ」、「ラッセ、ラッセ」、「ラッセラー」、「ヤーヤドー」等の掛け声とともに、武者等を模った人型や武者絵の描かれた扇型の山車燈籠を引いて街を練り歩く。昔は最終日の旧暦7月7日の朝に川や海へ行き、山車燈籠や身体を洗ったり、山車燈籠を流したりしていた。

青森市青森ねぶた弘前市弘前ねぷた五所川原市五所川原立佞武多などが有名である。黒石市黒石ねぷたは、合同運行時には青森県内最大級である70台以上のねぷたが集結することもある。その他、津軽地方下北半島の各市町村でも行われている。

[編集] 名称

「ねぶた」「ねぷた」の語源には諸説あるが、「眠(ねぶ)たし」、「合歓木(ねむのき、ねぶたのき、ねぶた)」、「七夕(たなばた)」、「荷札(にふだ)」などに由来する説がある。 現在では「眠たし」が最も有力な説とされている。

青森市や青森市周辺と下北が「ねぶた」なのに対し、弘前や津軽地方では「ねぷた」とされているが、年配の人の発音はほとんど区別がつかない。どちらも「ねぇんぷた」と言っているように聞こえる。

青森市や青森市周辺、下北以外で「ねぶた」といっている市町村は近代になってからねぶたを始めたところか、人形が「ねぶた」で扇が「ねぷた」だと勘違いしている人の影響と考えられる。

[編集] 起源

「ねぶた」の起源にも諸説あるが、禊祓に由来するという説が現在では有力である。さらに、除災行事としての「眠り流し」や星祭りのひとつである「七夕」、仏教行事と習合した民俗行事「」など、様々なものから影響を受けて現在のようになったと考えられている。

[編集] 「根蓋」説[要出典]

かつて東北に追われた原住民であった蝦夷を組織化し、征東大将軍紀古佐美の率いる五万の大軍を北上川で全滅させ、鉄武器を奪って田子の浦まで攻め込んだ阿弖流為という王が東北にいた。その後、大陸の援助で鉄武器を大量に補給された坂上田村麻呂らと12年に渡って戦ったが、最後には制圧されて蝦夷は滅びた。 阿弖流為は今の大阪府の杜山まで連行され朝廷に謁見後、斬首、さらし首にされたが、東北に残っていた妻子や残党は、大きな穴を掘らされて生きながら埋められ惨殺されたとされている。

その生き埋めの上に土をかけ、その土を素直に降伏し奴隷となった者らに踏みつけさせた。これが今の東北三大奇祭のねぶた(根蓋)の起こりであるとされている。 つまり『根』(死)の国へ追いやるための土かぶせの『蓋』ということである。踏んづける恰好をする踊りに坂上田村麻呂の山車を担ぎ踊る様は、その時のエピソードを表現しているとされている。

[編集] 各地のねぶた一覧

青森県内
その他

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

  • HITACHI NOW(ねぶた2007最新ドキュメンタリを公開中)
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