ポルノグラフィ
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ポルノグラフィ(英語:Pornography)とは、性を猥褻的に表現した小説や図画をいう。ギリシア語の πορνογραφια (pornographia)(『オックスフォード英語辞典』によれば、writing of harlotsの意)が語源であるという説があり、直訳すると売春婦の行為に関する文章や絵という意味になる。しかし、実際には1850年前後にイギリスで作られた言葉であるといわれている(『オックスフォード英語辞典』による用例の文献初出は1857年のものである)。日本では略語ないし俗語で、ポルノとも言われる。
語源とされている言葉からも分かるように当初は小説などに対する呼称であったが、その後意味が大幅に拡大し、性を猥褻に表現したものであれば写真、映画、ビデオなど媒体を問わずポルノと総称される。
性は本来人間の根源にかかわる問題であり、哲学的探求や文学、芸術などの対象になり得るものなので、その表現形態がもっぱら猥褻を目的としたものなのか、哲学的、芸術的探求を目的としたものなのかについて議論が沸き起こることが少なくない。日本では、小説として伊藤整翻訳のD・H・ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』や澁澤龍彦翻訳のマルキ・ド・サド『悪徳の栄え』が、映画として大島渚『愛のコリーダ』が猥褻性をめぐり裁判にまで発展した。
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[編集] ポルノとフェミニズム
社会に流通しているポルノの大半は男性異性愛者の女性観を反映したものである。そのため、女性や性的少数者にとっては、目に触れると不愉快な場合がある。ポルノにみられる女性蔑視的傾向や、ポルノに寛容な風潮が、フェミニズムに批判されてきた。アンドレア・ドウォーキンやキャサリン・マキノンなどは、ポルノに独自の定義を与えたうえで、「ポルノは理論で、レイプが実践」というテーゼを掲げ、ポルノが男性の偏向した女性観を育てているとして、ポルノそのものの排除を主張した[1]。また、性差別的なものをポルノ、性平等的なものをエロティカと呼び、前者のみを否定する立場もある。一方、フェミニストの中にも既存の性秩序への破壊力をポルノに認め、ポルノ一般に寛容な立場もある[2]。
[編集] ポルノの歴史
[編集] 政治的観点
リン・ハントによれば、前近代のヨーロッパ社会では、ポルノは政治的・社会的な批判を頻繁に含んでいた。代表的な形態は大きく分けて二つあり、ひとつには特定の個人や党派・集団への直接的な中傷である。国王やその愛人、有力政治家など国家の要人を批判する目的で、彼らの痴態を描いた風刺詩、版画などを流通させてその権威や評判を貶める内容である。マザラン(いわゆるマザリナード)やチャールズ2世に対する風刺は、政治的動向にポルノが一定の役割を果たした例として有名である。もうひとつは、18世紀に啓蒙主義が思想界を覆い始めるのを背景に流行した、従来の価値観を相対化ないし否定する内容を含むタイプである。自由思想を根拠に既存の体制を問題視し、教会・国家の腐敗を猥雑な表現方法で貶めるもので、聖職者の性的堕落の様なテーマが好んで描かれた。サドの一連の作品もこの文脈の中に置くことが出来よう。こうした反体制的要素を危険視した教会・国家は早い時期から検閲を適用したが大きな効果は得られなかった。特にフランスではポルノの流通を通して、啓蒙主義のエートスが普及した可能性が示唆されている。18世紀末のフランス革命では革命派を中心にポルノによる中傷攻撃が氾濫し、国王夫妻を始め旧支配層の権威を著しく低下させて革命劇の成功に大きく貢献した。しかし19世紀に入り、ジャーナリズムが市民的な公共性を重んじる傾向を強め、個人の私的領域への露骨な攻撃を控え始めるにつれ、ポルノと政治的・社会的批判との直接的な関係は弱まっていった。

