キング・クリムゾン

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キング・クリムゾン
基本情報
出身地 イングランド
ジャンル ヘヴィメタル
プログレッシブ・ロック
フュージョン
シンフォニック・ロック
活動期間 1969年 – 1974年
1981年 – 1984年
1994年 – 現在
レーベル アイランド
EG
アトランティック
ほか
メンバー
ロバート・フリップ
エイドリアン・ブリュー
トニー・レヴィン
パット・マステロット
ギャヴィン・ハリソン
旧メンバー
グレッグ・レイク
イアン・マクドナルド
マイケル・ジャイルズ
ボズ・バレル
ジョン・ウェットン
ビル・ブラッフォード
ゴードン・ハスケル
トレイ・ガン
アンドリュー・マックローチ
イアン・ウォーレス
ジェイミー・ミューア
ピート・シンフィールド
リチャード・パーマー・ジェイムス
メル・コリンズ
デヴィッド・クロス
  

キング・クリムゾン (King Crimson) は、イギリスプログレッシブ・ロックバンド。中心人物のロバート・フリップは自身の音楽をプログレ扱いされることを嫌っている(「『プログレッシブ・ロック』という名称はキング・クリムゾンが活動を始めた時をさす際のみ妥当な呼称であり、我々はすでにそこからさらに進化している」という考えのため)。

目次

[編集] 概要

1968年末結成。ロバート・フリップをリーダーとしてアルバムクリムゾン・キングの宮殿』で1969年にデビュー。以降、フリップはバンドのメンバーを次々に替えていった。日本では俗に「クリムゾン」と呼ばれることが多いが、本国ファンにはCrimso(クリムソ)と呼ばれていた。現在もなお、日本やイギリスをはじめ、ドイツイタリアなどの一部ヨーロッパ諸国やアルゼンチンなどの南米のプログレッシブ・ロックのファンの間では、カリスマ性を伴った人気を誇っている。

プログレ・バンドと呼ばれた多くのバンドがコマーシャルな方向性を打ち出す中、時代に流されること無く文字通り先進的(=progressive)であり続け、独自の音楽性を追究し続けてきたバンドの姿勢は、プログレッシブ・ロックという特殊な音楽ジャンルの中においてさえも孤高の存在と言える。

[編集] 来歴

[編集] 結成まで(第1期)

  • 註:キング・クリムゾンの活動時期の分類については諸説ある。構成メンバーを基準に、“第1期”、“第2期”、...などと分類する点は共通しているが、「デビュー~ファースト・アルバムのリリース当時」のメンバーを“第1期”、サード・アルバム『リザード』のころを“第2期”、4thアルバム『アイランド』のメンバーを『第3期』、...(『リザード』までを“第1期”、『アイランド』のころを“第2期”、『太陽と戦慄』から1974年解散までを“第3期”、...とする分類もある)などといったように、「アルバム自体や、その時のメンバー単位で分類する方法」と、「デビュー~1974年の解散時まで」を“第1期”、「1980年代再結成からの活動期間」を“第2期”、「1994年からの活動期間」を“第3期”...と、「連続活動期間で分類する方法」などがあり、統一がなされていない。ここでは、前者の分類方式に準じて述べていくが、「デビュー当初の“第1期”」後については、極力、構成メンバーやアルバム・タイトルなどで記述することとする。

1968年の「ジャイルズ・ジャイルズ&フリップ」から発展し、6月にマルチプレイヤーイアン・マクドナルド、作詞・ライブ時の照明担当のピート・シンフィールド、女性ボーカル、ジュディ・ダイブルが加わったがひと月後の7月ジュディが抜け、12月にベースのピーター・ジャイルズをフリップの古くからの友人であったグレッグ・レイクボーカリストベーシストと入れ替え、第1期のメンバーが揃うこととなった。バンド名は加入前にイアン・マクドナルドピート・シンフィールドが共作した楽曲クリムゾン・キングの宮殿からで、ピート・シンフィールドがメンバーの反対を押し切って付けたとインタビューに答えている。1969年初頭からリハーサルと曲作りが行われ、公開リハーサルの後ライブ活動とアルバム制作が行われていった。この頃を第1期とするのは、全ての分類方式に共通(メンバー構成については、一部に若干の食い違いもある)しており、この時期が音楽的にもピークであったとするファンも多い。

ファースト・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』は、当時からよく雑誌のレコード・レビューなどで、「1969年に、ビートルズの『アビイ・ロード』を1位から転落させたアルバム」といった内容で紹介されることが多かったが、英国音楽誌DISC誌1969年11月8日号デヴィッド・シューズ氏の記事「遂にデビューアルバムがアビーロードをトップから引きずり降ろした。」を紹介したものと言われる。そのことについては、複数の日本の評論家が「デマとまではいえないが、ありえるとしたなら、地方の、あるいは、マイナーなチャートではないのか」といった見解を共通して述べていた。NMEでは5位が最高位。このファースト・アルバム制作当初、プロデュースしたトニー・クラークは自ら手掛けるムーディ・ブルース同様のサウンド作りを要求した為にバンドと決裂し、スレッショルド・レーベルからのリリースは御破算となり、バンドがセルフプロデュースしアイランドからのリリースとなった。

キング・クリムゾンでは、一貫してフリップがリーダーシップを握っていたが、この当時は作曲やアレンジを含めた音楽面では、むしろイアン・マクドナルドの方が優勢であったとする見方をする者も多い。この後にマクドナルドとジャイルズは脱退し、共同名義のアルバムをリリースした。そのなかで、1970年リリースのキング・クリムゾンのセカンド・アルバム『ポセイドンのめざめ』の、一部収録曲の「ネタばらし」をしたということは、ファンや音楽評論家の間では有名な出来事であった。彼は1976年フォリナーのオリジナル・メンバーとなり、ギターキーボードなどを担当した(注:アルバム名In the Wake of Poseidonの「in the wake of」は、「目覚め」という意味ではなく、邦題『ポセイドンのめざめ』は誤訳と思われる。「ポセイドンの跡を追って」、「ポセイドンに続いて」程度の意味。そのため、CD化以降は原題をカタカナ読みしたものをタイトルとすることの方が多い。なお、wakeには「通夜」、「徹夜祭」という意味もあり、「ポセイドンの航跡の後に」という意と「ポセイドン徹夜祭」という意のダブル・ミーニングととることも可能である)。

当時ギタリストはバンド内に1名でよいとフリップは考えていたため、レイクにはギターの演奏はさせなかった。セカンド・アルバムでピーター・ジャイルズがベースを担当しているのは、単純に新曲をリハ無しですぐに弾けるという事だとフリップは述べている。セカンド・アルバム録音終盤、レイクは正式脱退し、キース・エマーソンカール・パーマーと共にエマーソン・レイク&パーマーを結成し、成功することとなる。レイク自身も69年のツアー中に幾度もエマーソンとの新バンド構想打ち合わせをしていた事をインタビューで述べており、年末のアメリカツアー時に既に脱退が決定的になっていた。

[編集] メンバーチェンジ以降(1970年代)

セカンド・アルバムのリリース以降、サード・アルバム『リザード』、その後の『アイランド』(原題は複数形「アイランズ」、意訳「諸島」)や、『太陽と戦慄』(直訳は「毒蛇の中の雲雀の舌」)[1]に至るまで、メンバー・チェンジを繰り返した。1971年オーディションでベースが決まらない為、ボーカリストのボズ・バレルに対し、フリップはベースギターの奏法を教授し担当させ、アルバム『アイランド』収録前にドイツ等でお披露目ツアーを行っている。作詞と初期4作品のイメージ作りを担当したピート・シンフィールドは71年8月にニュー・ミュージカル・エキスプレス誌に脱退を予告し年末に解雇された。険悪化した関係のシンフィールドをクビにすることで印税を4等分すると約束したフリップだったが、年明け早々のリハーサルでメルの新曲を無視し号泣させ、またもフリップは孤立する。バンドは解散したが、マネージメントはツアー契約を楯に残り3ヶ月のツアー続行を強行した。音質の悪いライヴ・アルバム『アースバウンド』(マスターはミキサー・コンソールに繋がれたカセットテープレコーダーで録音)を廉価版にてリリース。この時のメンバーは72年4月に解散した。この時期のキング・クリムゾンは、一部の熱心な少数派ファンの間ではこの直後の(ジョン・ウェットンの参加した)キング・クリムゾンや、ファースト・アルバム発表当時の俗称「宮殿クリムゾン」よりも支持されている。

ツアー終了後、フリップのみ英国へ帰国し、残りの3人は共演したアレクシス・コーナーとバンドを組んでツアーをした。その後、ボズはポール・ロジャースのバンドバッド・カンパニーのベーシストとして参加することとなる。ピート・シンフィールドもレイクの呼びかけに応じ、エマーソン・レイク&パーマーに作詞で協力したりソロ・アルバム『スティル』を制作した。フリップはこの時期のバンド解消を「彼らとではアイディア(太陽と戦慄)を具体化できなかったから」と説明している。

1972年には、ドラマーのビル・ブラッフォードをプログレッシブ・ロックのバンド、イエスから強引に引き抜いた。また、ロジャー・チャップマンのバンドファミリーのベーシスト兼ボーカリストでフリップの大学時代の友人ジョン・ウェットン(キング・クリムゾン解散後にU.K.エイジアを結成)、クリムゾンへ影響を与えた即興集団デレク・ベイリー主宰カンパニーのパーカッショニスト、ジェイミー・ミューア、そしてデヴィッド・クロスが集結。ここで再びバンドとしてのピークを迎える。一部メンバー脱退を経て、『太陽と戦慄』『暗黒の世界』『レッド』の3枚のアルバムをリリースし、ライヴ・ツアーも精力的にこなす。「静と動」「インプロヴィゼーション重視」の姿勢などがサウンドの特色としてみられた。

この当時のアメリカでのライヴの様子を収録したライヴ・アルバム『USA』が解散後の1975年にリリースされた。元音源にはバイオリン兼キーボード(主にメロトロン)担当のデビッド・クロスが参加していたのだが、いつくかが編集段階でフリップによりエディー・ジョブソン(「特記」参照)の演奏に差し替えられた。

1974年制作されたアルバム『レッド』は、ウェットンの呼びかけで数名のOBが参加したが、リリース後フリップは突然解散宣言を出す。その直前には、フリップとウェットン、ブラッフォードの3人となったバンドに『レッド』にも参加したかつてのメンバー、イアン・マクドナルドを再度迎えて、バンド継続計画を発表していたが、フリップに続行の意思は無かった。このおかげで75年に予定された初来日も無くなってしまった。

[編集] この時期までのキング・クリムゾンの特色

この時期までを、「本当のキング・クリムゾンである」と解釈するファンや元メンバーも多い。彼らが後述する1980年代以降のキング・クリムゾンを認知しないという大きな理由は、アメリカ人のメンバーが加入したことや、それに伴って以降は音楽的にも大きく変化してしまっていることなどが挙げられる。

ソロ名義やプロジェクトでは今ひとつセールスが伸びないフリップの苦肉の策と、その後のキング・クリムゾンに対して皮肉混じりの批評や批判をする者も多いが、ディシプリン名義での活動では興行収益が半分になるとEGマネージメントの説得に応じた形である。

[編集] 再結成以降

1981年に至って、かつてのメンバーであるビル・ブラッフォードを加えて、キング・クリムゾンはバンド活動を再開した。前年にリリースされたジョン・レノンの『ダブル・ファンタジー』などにも参加したことのあるアメリカ人ベーシスト、トニー・レヴィンが加入(フリップとはピーター・ガブリエルのレコーディングで競演済)。それまでの大きな転換として、2人めのギタリスト(兼ボーカリスト)としてエイドリアン・ブリュー(アメリカ人)が参加したことが挙げられる。彼はトーキング・ヘッズのライヴ・ツアーにも参加していたことから、「キング・クリムゾンがトーキング・ヘッズ化した」という批判も一部から出た。そもそもフリップはこのプロジェクトを「ディシプリン」(「規律」などといった意味)という名前の新バンドとして発表していたのに、突然名前が「キング・クリムゾン」に変わったことも、当時のファンが違和感を覚えた理由の一つであろう。ジョン・ウェットンも英国人以外が参加しているこのラインナップをクリムゾンとして認めていない旨の発言をしている。 当初のバンド名をタイトルとしたアルバム『ディシプリン』リリース後の81年12月、遂に初来日し、渋谷公会堂浅草国際劇場を始めとする全国ツアーで完璧な演奏を聴かせた。その後、『ビート』『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペア』の2枚のアルバムとライヴ・ビデオ2作品をリリースし、1980年代半ばに解散した。

後にフリップは、「(レコード)レーベル会社との契約上、1枚のアルバムを出したいがために、結局3枚のアルバムを出さざるをえなくなってしまった」と、インタビューで述べている。1970年代までの楽曲のうち、このラインナップで演奏されたのは、「太陽と戦慄 パート2」(この頃に「パート3」が作られ、以降、「太陽と戦慄」の続編が作られることとなる)と「レッド」のみであった。1990年代の再々結成以降、以前は批判的であった一部ファンの間でも、このキング・クリムゾンが認知されつつある。

1994年の再々結成においては、前回の1980年代のキング・クリムゾンのメンバーにさらにメンバーを追加し、6人編成となり、「2つのトリオ編成」(通称ダブルトリオ)となった。このラインナップでも「ヴルーム」「スラック」の2作を発表し、ライヴ・ツアーを行った。このメンバーによるライヴで演奏された1970年代以前の曲目は、前段落で演奏された2曲と「トーキング・ドラム(70年代当時と同じく「パート2」とメドレー形式で演奏)」、「21世紀のスキッツォイド・マン」であった。スラック・ツアーを終え休息後に集合したバンドはリハ段階で内紛になり、6人編成を棚上げにしてプロジェクト単位の活動に一時シフトした。

この頃、グレッグら4人が打ち合わせたオリジナルクリムゾンでの再結成と、もう一つのマクドナルド、ウェットン、ジャイルズにフリップの4人での活動は、共に計画段階で頓挫している。

[編集] キング・クリムゾン事件

1998年書籍『地球音楽ライブラリー キング・クリムゾン』をメンバーに無断で発行し、パブリシティ権を侵害したとして出版元のTOKYO FMを訴えた。1審ではフリップの勝訴となったが、控訴審で出版側が逆転勝訴、以後記載内容の多くのミスが修正されないまま現在も再版されるという痛ましい結果となっている。

[編集] 2000年以降

2000年以降、ビル・ブラッフォードは自らのバンド、アースワークスの活動に専念、トニー・レヴィンピーター・ガブリエルシールとのセッションがあったため脱退のアナウンスはなかったものの実質的にはクリムゾンのメンバーとしての活動はなかった(待機状態)。フリップはキング・クリムゾンの活動以外にも、断続的にソロ活動や様々なプロジェクト、他のミュージシャンのプロデュースなどを手がけていた。2003年の終盤、1990年代の「ダブル・トリオ」編成のメンバーだったトレイ・ガンが実質的な正式脱退表明。またトニー・レヴィンはスケジュールの都合で2000年以降不参加であったが、約束どおり2004年復帰しトレイ・ガンと入れ替わってリハーサルに参加した。

2008年4月、新ラインナップにて今後の活動計画を話し合う会合とリハーサルが再開。8月からのライブ活動が発表された。

1980年代後半ころから、断続的にキング・クリムゾンのライヴ演奏のCDボックスセットが発売されている。理由は、(1)著作権料、及び、アーチスト印税などの収入獲得、(2)海賊盤対策、(3)スタジオ録音作品の権利はレコード会社にあるため、フリップ自身のリリースの権限が及ぶのはライヴ音源のみ、などと推測される。かつてのメンバーたちにも、それによる収入が見込まれるためかどうかは不明だが、最近は「フリップのキング・クリムゾン人事」にクレームをつける元メンバーも減ってきているらしい。

[編集] 特記

(「キング・クリムゾン」までに発展しなかったもの中心)

  • おそらく、「第1期」解散当初かその直後のことだと思われるが、EGの事務所主体でフリップが知らぬ内にボーカリストのオーディションが企画され、エルトン・ジョンブライアン・フェリーが参加した。エルトンは落選、ブライアンは「キング・クリムゾンのボーカリストとしてはマッチしないが、惜しい人材」とフリップに評価され、当時のレコード関係者に紹介され、後にロキシー・ミュージック結成の大きなきっかけとなる(これとは直接関係ないが、1970年代のキング・クリムゾンの解散後のジョン・ウェットンが、一時期ロキシー・ミュージックにベーシストとして参加する。エディー・ジョブソンもロキシー・ミュージックのメンバーであった)。
  • 1976年にクリムゾン再起動に失敗し、リック・ウェイクマンとのトリオ結成を断念したジョン・ウェットンとビル・ブルッフォードは、ギタリストのアラン・ホールズワースやバイオリニスト兼キーボード奏者のエディー・ジョブソンU.K.を結成する。ジョンのインタビューによると、「フリップがバンドを解散したので、残ったリズム隊の2人がキング・クリムゾンのリズムのコンビネーションを維持し展開するために結成した」といった主旨のことを述べていた。
  • 1990年代のキング・クリムゾンの正式結成直前に、ロバート・フリップが元ジャパンデヴィッド・シルヴィアンとプロジェクト「シルヴィアン・アンド・フリップ」を組み、アルバムをリリースし、来日公演も行っている(この際、マイケル・ブルックと共にトレイ・ガンとパット・マステロットが参加している)。インタビューでは否定していたが、当初デヴィッドが「新しい、クリムゾンのボーカリストとして参加する」とファンの間で噂された。シルヴィアンはフリップに勧誘されたが拒否したとインタビューで述べている。
  • これとほぼ前後して、オリジナル・メンバーで再結成されたエマーソン・レイク・アンド・パーマーCDボックスセットに、同メンバーの演奏による「21世紀のスキッツォイド・マン」の独自のバージョンが収録されていた(この曲は、1980年代初頭に、グレッグ・レイクがゲイリー・ムーアと共に行ったライヴ・ツアーでも、「クリムゾンキングの宮殿」と共に演奏された。この2曲のオリジナルは、キング・クリムゾンのファースト・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』に収録)。
  • 1996年、元ジェネシスのギタリスト、スティーヴ・ハケットが来日した際のメンバーにはイアン・マクドナルド、ジョン・ウェットンが参加しており、第1期の曲から「クリムゾンキングの宮殿」と「風に語りて」(共にファーストアルバム収録の曲)を演奏した。この様子は、『Tokyo Tapes』としてCD、ビデオなどで正式発売されており、その後DVD化もされている。
  • 2002年、イアン・マクドナルドとマイケル・ジャイルズピーター・ジャイルズ兄弟のマクドナルド&ジャイルズが再結成の動きから、さらにメル・コリンズらを加え、21st Century Schizoid Bandの結成となった。フリップにも公認され、初期のキング・クリムゾン・ナンバーを演奏してのライヴ・ツアーをこなす。同年及び翌2003年の2回の来日公演も実現した。同バンドはキング・クリムゾンのアルバム1枚目から4枚目までの曲をレパートリーの中心にしている。マイケル・ジャイルズは結成後1年と経たずに脱退、代わってイアン・ウォーレスが参加し2006年まで活動した。2007年2月ウォーレス死去で活動再開のめどは見えていないが、メルとジャッコ二人による活動が継続されており今後が注目される。
  • 2006年9月、スペインでのステージ上、心臓発作で急逝したボズ・バレルは、生前クリムゾン時代を語る事を拒否し続けたと言われているがOB達との交友はあり、1980年にはピート・シンフィールドのテレビ出演の際にマイケル・ジャイルズメル・コリンズゲイリー・ブルッカーらと共に演奏している。

[編集] ディスコグラフィー

[編集] 主要ラインナップ(主な担当パート)

  • ロバート・フリップ - Guitars (以下、全期間を通じてリーダーとして在籍)
  • Lineup #1(デビュー~ファースト・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』)
グレッグ・レイク - Bass & Vocals
イアン・マクドナルド - Windwoods, Keyboards & Vocals (後に「フォリナー」結成時のメンバーに)
マイケル・ジャイルズ - Drums & Vocals
ピーター・シンフィールド - Words
  • 『ポセイドンのめざめ』発表当時
グレッグ・レイク - Vocals (直後に脱退し、EL&P結成)
ピーター・ジャイルズ - Bass
メル・コリンズ - Saxophone & Flute
マイケル・ジャイルズ - Drums
ピート・シンフィールド - Words
ゴードン・ハスケル - Vocals (Guest)
キース・ティペット - Piano (Guest)
  • 『リザード』発表当時
ゴードン・ハスケル - Vocals & Bass 
ジョン・アンダーソンイエス) - Vocals (Guest)
メル・コリンズ - Saxophone & Flute
アンドリュー・マックローチ - Drums
ピート・シンフィールド - Words
キース・ティペット - Piano (Guest)
ロビン・ミラー - Oboe (Guest)
マーク・チャリッグ - Cornet (Guest)
ニック・エヴァンズ - Trombone (Guest)
  • Lineup #2『アイランド』『アースバウンド』
ボズ - Vocals & Bass (後にポール・ロジャース率いるバッド・カンパニーのベーシスト、ボズ・バレルに)
メル・コリンズ - Saxophone, Flute & Vocals
イアン・ウォーレス - Drums & Vocals
ピート・シンフィールド - Words (『アイランド』製作直後に正式脱退し、EL&Pの歌詞を担当)
この他にも、ゲスト・ミュージシャンが参加している
  • Lineup #3『太陽と戦慄』~『レッド』発表当時
ジョン・ウェットン - Vocals & Bass (解散後、U.K.や「エイジア」を結成し、成功する)
デヴィッド・クロス - Violin, Viola & Melotron (『暗黒の世界』発表後に脱退)
ビル・ブルッフォード - Drums & Percussions (イエスから加入。後に、ウェットンと共にU.K.結成)
ジェイミー・ミューア - Percussions (『太陽と戦慄』発表後に脱退。後にミュージシャンから画家に転向)
リチャード・パーマー・ジェイムス - Words
『レッド』録音時にはイアン・マクドナルドメル・コリンズなどの旧メンバーがゲスト・ミュージシャンとして参加している。また、ライヴ・アルバム『USA』において、エディー・ジョブソン(Violin & Keyboards、後に前述のU.K.結成)がフリップとウェットン立ち会いの元、2時間程度を掛けてデヴィッド・クロスのヴァイオリンとエレピパートをいくつか差し替え録音した。
  • Lineup #4『ディシプリン』~『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペア』(1980年代再結成時。キャリア等は、本文参照)
エイドリアン・ブリュー - Vocals & Guitars
トニー・レヴィン - Bass, Chapman stick & Vocals
ビル・ブルッフォード - Drums & Percussions
  • Lineup #5『ヴルーム』『スラック』(1990年代再々結成時)
1980年代時の3人に加え
トレイ・ガン - Warr Guitars
パット・マステロット - Drums & Percussions
  • Lineup #6『ザ・コンストラクション・オブ・ライト』~『ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ』
エイドリアン・ブリュー - Vocals & Guitars
トレイ・ガン - Warr Guitars (2007年エディー・ジョブソンやその他のミュージシャンとともにUKZを結成)
パット・マステロット - Drums & Percussions
  • Lineup #7(2008年~)
エイドリアン・ブリュー - Vocals, Guitars & Keyboards
トニー・レヴィン - Bass, Chapman stick & Vocals
パット・マステロット - Drums & Percussions
ギャヴィン・ハリソン - Drums & Percussions (ポーキュパイン・トゥリーとの掛け持ち参加)

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ オリジナル日本盤LPライナーノート。ちなみに、"aspic"は、"asp=毒蛇"の詩的表現。