ツール・ド・フランス

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ツール・ド・フランス
概要
開催時期 7月上旬~7月下旬(23日間)
開催地域 フランス及び周辺諸国
英語名 Tour de France
地域名 Le Tour de France(
愛称 ツール
分野 ロードレース
カテゴリー グランツール
形態 ステージレース
主催者 アモリ・スポル・オルガニザシオン (ASO)
責任者 クリスティアン・プリュドム
歴史
初回開催年 1903年
開催回数 95回(2008年)
初代優勝者 フランスの旗 モリス・ガラン
最多優勝者 アメリカ合衆国の旗 ランス・アームストロング(7回)
直近優勝者 スペインの旗 カルロス・サストレ(2008年)

ツール・ド・フランス (Le Tour de France) [1]とは、毎年7月にフランスおよび周辺国を舞台にして行われる自転車プロロードレースである。1903年から開催されている。主催は傘下にレキップ(スポーツ新聞)やパリジャン(一般紙)などを抱えるフランスの大企業・ASO (Amaury Sport Organisation) 。

単にツール (Le Tour) と称されることもある(本記事でも以下「ツール」と呼称する)。

目次

[編集] 概要

2007年のコース

毎年7月に3週間以上かけて行われるステージレースで、距離にして3500km前後、高低差2000m以上という起伏に富んだコースを走りぬく。フランス国内でのレースが中心だがイギリスイタリアスペインベルギーモナコなど周辺国が舞台になるステージもある。ステージ数は通常21前後。平坦ステージ、山岳ステージ、タイムトライアルステージ(個人、チーム)と多彩なステージ設定がされているが、山岳の比重が大きくなることの多いジロ・デ・イタリアブエルタ・ア・エスパーニャに比べて平地ステージと山岳ステージのバランスがとれた構成となっている[2]

1社ないし数社のスポンサーの名を冠した9人編成(最低6人)のチームが、20~22チーム参加する。出場する選手の国籍はヨーロッパだけに限らずアメリカオーストラリアカザフスタンコロンビアなど多様である。

総合成績1位の選手には「マイヨ・ジョーヌ」と呼ばれる黄色のジャージが与えられるほか、スプリント賞、山岳賞、新人賞といった各賞の対象者も特別なジャージを着用する。

賞金総額は2008年の場合で約320万ユーロ、うち総合優勝者に45万ユーロとなっているほか、各ステージ優勝やスプリント賞・山岳賞などに細かく賞金が設定されている。

[編集] 特徴

街を駆け抜ける集団

例年、前半は平坦基調のステージが続き、スピードマンたちの逃げやスプリンターたちによる迫力あるゴールスプリントが見られる。そして中盤から後半にかけてはラルプ・デュエズガリビエモン・ヴァントゥなどの峠を舞台にした山岳ステージで総合優勝や山岳賞をかけたオールラウンダークライマーたちの戦いが繰り広げられる。

従来は各ステージのゴールと次のステージのスタートが同じ町だったが、スタート・ゴール地点を希望する市町村が多いため現在は一致しないことが多い。ただし、最終ステージはパリ市街を中心に回るクリテリウム形式のコース設定がされ、シャンゼリゼゴールに設定されるのが恒例である。

なお、最終日は選手たちがシャンパンを片手に走る光景もよく見られるなど顔見せの凱旋パレードの色合いが強く、ポイント賞を争うスプリンターや何としても1勝したい選手以外は本気での勝負を行わない。また、総合優勝を争う選手は集団落車に巻き込まれないようアシスト選手で周囲を固め、ゴールスプリントが済んだ後にゴールに入るため、実質的な総合優勝争いは最終日の前日までと考えて良い(最終日が個人タイムトライアルに設定され、それまでローラン・フィニョンに50秒の差をつけられていたグレッグ・レモンが大逆転した1989年のような例外中の例外もある)。

[編集] 歴史

[編集] 黎明期

スポーツ新聞社・ロト(L’Auto、現在のレキップ紙)の宣伝のために当時の編集長アンリ・デグランジュ自動車による「ツール・ド・フランス」をヒントに企画したのが始まりで、自転車レースを企画するライバル2紙、ル・プティ・ジュルナル (Le Petit Journal) によるパリ〜ブレスト往復(PBP、現在はアマチュアが参加するブルベというイベントに変わっている)、並びにヴェロ紙(L’Velo)がスポンサーとなるボルドー〜パリ間レースに対抗するためのものであった。

1903年に行われた第1回大会は合計走行距離2428km・6ステージで行われ、1ステージ平均400kmを走るという過酷なレースであった。初期のレースではほとんど休みが無い耐久戦であり、眠る際にもライダーは道路脇で眠っていたというが、一方で休息日が第1回は1日おき(1ステージ走ったら1日休み)、その後も3~4日ごとに設けられるなど、休息日の数は現在よりも多かった。ゴール先の宿泊先も自分で手配し、またいかなる場合でも(自転車の故障による修理なども含む)他者の協力を得ることは禁止されていたため、選手は修理用の工具や交換用のタイヤを身に着けて走っていた。

第3回大会からは距離を縮めた分、ステージ数が倍増。さらに山岳ステージが導入された。ただ当時は変速機が無く、登山用の低速ギアが後輪の反対側(ダブルコグ)に取り付けられていた。しかし、上り坂に来るたびに選手は後輪を前後反対に付け直さねばならなかったためレースは相変わらず過酷なものだった。まもなく変速機が開発されるが、デグランジュはこれを禁止した(デグランジュは「変速機は女子供が使うもの」との考えを持っていたといわれる)。

初期はルールが一定せず、第3回~第10回までは総合優勝がポイント順位制(各ステージ首位の選手とのタイム差をポイントに換算し、点数の最も少ない選手が優勝)とされていた。また第9回からチームによる参加が認められたが、引き続き個人としての参加も可能となっていた(1936年まで)。

以後も徐々にステージ数は増えそれに伴いレースは大規模化していくが、第一次世界大戦によって1915年から1918年までは中断。1919年から再開されたが、この頃は再び走行距離も伸び1ステージ平均350kmを走るのが当たり前で、総距離は5000kmを超える傾向が1930年代まで続いた。

[編集] ナショナルチーム時代

1930年からは商業スポンサーによるチーム(いわゆる「トレードチーム」)の参加を禁止し、チームは全て同一国籍の選手によるナショナルチームでの参加を義務付けることとなった(しかしチーム数が不足したため、ナショナルチーム以外にも地域選抜チームの参加も認められた)。チームから商業スポンサーを排除した結果、主催者は選手への機材の供給を一手に引き受けなければならなくなったが、主催者は運営費用を調達するため、レースの前に宣伝カーを走らせてそのスポンサー料を運営費用に宛てることを思いつく。この結果、現在のツールでもおなじみの「キャラバン隊」がこの年に誕生した。

1930年代以降はステージ数20前後、走行距離は4500km程度の規模になり、ほぼ現在の開催スタイルとなる。1937年にデグランジュが代表の座を退くと、ツールでは変速機の使用が認められるようになったほか、個人参加が禁止され、チームカーが導入されるなど「チームによる戦い」としてのツールが確立される。総合優勝以外の各賞が制定されたのもこの頃で、チーム賞は1930年、山岳賞は1933年(ただしジャージ制定は1975年)、ポイント賞は1953年に制定されている。

しかし第二次世界大戦によって1940年から1946年まで再び中断を余儀なくされた。この戦争を挟んだ時代に参加した選手の中にイタリアのファウスト・コッピジーノ・バルタリがいる。この時代からツールはチームを編成した集団競技へと移行し、チーム編成の規定も試行錯誤が続けられた。1947年から再開され、以後1950年代ルイゾン・ボベが3連覇を達成した。

[編集] トレードチームによる戦いへ

1960年代に入ると自転車レース人気の高まりからスポンサーが増え、ナショナルチーム制を取る当時のツールに対する不満が高まってきた。これに加えフランスナショナルチーム内においてジャック・アンクティルレイモン・プリドールが対立、ナショナルチームとして両者を同じレースに出場させることができない状態となった。当時のフランス自転車界の二大スター選手の片方を欠くことはレースの盛り上がりをそぐことになるため、主催者はこの問題を回避すべく、1962年よりトレードチームによるエントリーを認めることとなった。その後1967年1968年には一時的にナショナルチーム制が復活するものの、現在に至るトレードチームによる戦いがここにスタートした。

1960年代にはアンクティル、1970年代前半にエディ・メルクスが4連覇を達成。1973年には独立した運営企業として「ソシエテ・ド・ツール・ド・フランス」が設立された(同社は1993年にASO傘下となる)。1975年には今や恒例となっているシャンゼリゼ通り周回コースによる最終ステージがスタートした。1970年代後半からはベルナール・イノーローラン・フィニョンらフランス人が活躍。1980年代後半は後半はヨーロッパ出身以外の選手の台頭も目立つようになり、アメリカ人のグレッグ・レモンが活躍した。

1990年代前半にはミゲル・インドゥラインが史上初の5連覇を達成。2000年代にはランス・アームストロングが7連覇を達成している。

[編集] 知名度と露出度

ツールの名物・悪魔おじさん

他に3週間程度にわたり行われる大規模なステージレースとしてはジロ・デ・イタリア(イタリア一周)とブエルタ・ア・エスパーニャ(スペイン一周)があり、これにツール・ド・フランスを加えて俗にグランツール(三大ツール)と呼ばれるが、その中でもツールの知名度・露出度は突出しており、日本でも「世界最大の自転車レース」として認識されている。

また世界中で他の自転車レースには興味がなくてもツールだけは熱狂的に応援するファンが多数存在しており、開催規模や放映される国の多さ、参加する選手の国籍の多彩さなどから見ても世界屈指のスポーツ競技大会である。

そのため総合優勝をはじめとした各賞のステータスが非常に高いことはもとより、各ステージの優勝もクラシックなどのビッグレースでの優勝に匹敵する価値があるとされ、1回のステージ優勝であっても生涯の勲章になる。さらに超級山岳ポイントの峠を1位で通過するだけでもステージ優勝と同じくらいの価値があるとされ、次回以降通過する際、歴代の峠の制覇者としてオフィシャルガイドに名前が掲載される。それゆえプロロード選手にとっては一度は出場してみたい大会の筆頭である。

[編集] 運営

キャラバンカー

レースが非常に大規模、かつ露出度が高いために専門の本部が置かれ、およそ500名のスタッフが運営に関わる。また、交通規制やレース中の警備、極端な不正行為(ドーピングレベルでなく禁制薬物使用など)の取締りはジャンダルマリ(フランス国家憲兵隊)とポリスナシオナル(フランス国家警察)の2系統の警察が担当しており、これに動員される人数が約2万5000人。さらにボランティアで警備などを担当する人は数十万人にのぼると推察されている。

またレース中は情報・補給食・飲料水を供給したり、機材のトラブルをサポートするメカニックが乗り込んだ「サービスカー」と呼ばれる車やオートバイが選手と共におよそ1500台走る。このサービスカーはチーム専属の車両の他、中立の立場で水や機材を提供するニュートラルカー(ツールでは主にマビックが提供するため「マビックカー」として知られる)も参加している。

このほかにも選手が通過するおよそ1~2時間前に、各スポンサーが出す山車の様な宣伝カーが連なったキャラバン隊が、沿道の観客に菓子、応援グッズ、キーホルダー等々のグッズをばら撒いていく。配られる数は1000万を超え、車の台数はおよそ200台にもなり、全て見るのに40分以上かかるほどである。2000年・2002年にはこのキャラバンカーに観客の子どもがはねられ死亡する事件が起きている。

キャラバン隊は現地にいる観客へのPRだけなく、山岳地帯などレースのスピードが落ちる区間で、チームジャージと同じ吸湿性に優れた素材で出来たTシャツを配布し、沿道に即席の応援団を作り出すことで、スポンサーのロゴが中継で長く映るようにする(2008年のケス・デパーニュ)など巧妙な宣伝を行っている。

運営費は主にテレビ放映権とスポンサー収入でまかなわれるほか、レースの舞台となる市町村から主催者に支払われる開催料も充てられている模様だが、正確な収入および運営費用は非公開となっている。

[編集] 各賞とリーダージャージについて

総合1位の選手が着用するマイヨ・ジョーヌ

数種の賞が設定されており、各賞に応じた色別のジャージ(リーダージャージ)、または特別なゼッケンがある。前日のステージ終了時点で各賞の成績第1位の選手およびチームは、翌ステージでそのジャージまたはゼッケンを着用しなければならない。

[編集] マイヨ・ジョーヌ(個人総合時間賞)

黄色のジャージ「マイヨ・ジョーヌ (maillot jaune) 」は個人総合成績1位の選手に与えられる。各ステージの所要時間を加算し、合計所要時間が最も少なかった選手が「マイヨ・ジョーヌ」着用の権利を得る。最終ステージの終了時点で「マイヨ・ジョーヌ」着用の権利をもっている選手がツールの総合優勝者となる。

詳細はマイヨ・ジョーヌを参照

[編集] マイヨ・ヴェール(ポイント賞)

緑色のジャージ「マイヨ・ヴェール (maillot vert) 」は「スプリント賞」に対して与えられる。各ステージのゴール、およびステージ途中の中間スプリント地点の通過順位に応じてスプリントポイントが加算され、スプリントポイント1位の選手が「マイヨ・ヴェール」着用の権利を得る。

詳細はマイヨ・ヴェールを参照

[編集] マイヨ・ブラン・ア・ポワ・ルージュ(山岳賞)

赤玉の入った白色ジャージ「マイヨ・ブラン・ア・ポワ・ルージュ (maillot blanc à pois rouges)」は「山岳賞」に対して与えられる。山岳ポイント地点の通過順位に応じて山岳ポイントが加算され、山岳ポイント1位の選手が「マイヨ・ブラン・ア・ポワ・ルージュ」着用の権利を得る。1975年に初登場。略して「マイヨ・ア・ポワ」あるいは「マイヨ・グランペール」とも呼ばれる。

詳細はマイヨ・ブラン・ア・ポワ・ルージュを参照

[編集] マイヨ・ブラン(新人賞)

白色のジャージ「マイヨ・ブラン (maillot blanc) 」は開催年に25歳以下の誕生日を迎える選手の中で総合成績が最も上位の選手に与えられる(大会期間中に25歳であっても開催年中に26歳になる選手は対象外)。「新人賞」と訳されることが多いが、該当の年齢であれば複数回受賞できるため正確には「最優秀若手選手賞」と呼ぶのがふさわしい[3]。色の由来は不明。

詳細はマイヨ・ブランを参照

[編集] ドサール・ルージュ(敢闘賞)

タイムトライアルを除く各ステージで特に果敢に動いたと認められた選手には「敢闘賞」として、通常白地に黒文字のゼッケンの代わりに赤地に白抜き数字のゼッケンが与えられる。「敢闘賞」は他の賞と異なり審査員の主観によって選ばれる賞で、各ステージ終了直後に受賞選手1名が主催者から発表され、表彰が行われる。また、最終日には大会全体で最も果敢な走りをしたと認められた選手1名に「スーパー敢闘賞」が送られる。

[編集] ドサール・ジョーヌ(チーム賞)

各ステージの終了後、チームごとに先頭から3名の所要時間が加算され(各チームの総合時間成績の上位3名ではないことに注意)、最も少ない時間のチームが表彰される。2006年からは黄色地に黒文字のゼッケンがチーム総合首位の選手全員に与えられている。

[編集] 各種規則

  • ゴール争い時の危険防止のため、集団でゴールした場合、集団内のすべての選手は集団先頭と同タイムとみなされる。同様の目的でゴール手前3km以内(2004年までは1km以内)で落車した場合は、原則として元々その選手が加わっていた集団と同じタイムが与えられる。[4]
  • タイムトライアルを除く各ステージには制限時間があり、基本的には「そのステージの優勝選手のタイムに対し何パーセントオーバー以内」という形で定められる(具体的な割合は優勝選手の平均速度やステージ形態等により変化する)。基本的に制限時間以内にゴールできなかった選手はタイムオーバーによるリタイア扱いとなるが、タイムオーバーした選手が出走選手数の20%以上に及ぶ場合は主催者による救済措置が取られる場合がある(詳細はグルペットを参照)。
  • スプリントポイントについては与えられるポイント数がステージの形状により変わる。ゴールでのスプリントポイントは平坦ステージの場合が最も高く、以下、中位のステージ、山岳ステージ、タイムトライアルの順にポイントが少なくなる。また各ステージにはおおむね2箇所の中間スプリント地点が設定されており、そこを3位までに通過した選手にポイントが与えられる。総合成績と異なり1cmでも先に通過した選手がより高いポイントを得られるため、ポイント設定箇所、特にゴール前ではスプリンター同士の熾烈な争いが繰り広げられることとなる。
スプリント・ポイント表
通過順位 1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
平坦ステージ 35 30 26 24 22 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1
中位山岳 25 22 20 18 16 15 14 13 12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1
上級山岳 20 17 15 13 12 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1
プロローグ&TT 15 12 10 8 6 5 4 3 2 1
中間スプリントポイント 6 4 2
  • 山岳ポイントについては上り坂の勾配と長さに応じてカテゴリー超級からカテゴリー4級までの5段階に区分されており、通過順にカテゴリーに応じた山岳ポイントが与えられる。カテゴリー超級の坂はいずれも過酷な登りであり、ツールマレー峠モン・ヴァントゥガリビエ峠ラルプ・デュエズ等が有名である。近年はポイント稼ぎの目的でコース前半の山岳でアタックし最後の上りとなる山頂ゴールでは大きく後退する作戦で山岳王を狙うケースが目立ったことから、2004年よりルールが改正され、最後の上り坂がカテゴリー2級以上の場合は与えられるポイントが2倍となった。このため最後まで上位集団に食らいついてゴールした方が総合優勝争いだけでなく山岳賞争いでも有利になったため、戦略にも大きな影響が出ている。
山岳ポイント表
~2003年
通過順位 1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
カテゴリー超級 40 35 30 26 22 18 16 14 12 10 8 6 4 2 1
カテゴリー1級 30 26 22 18 14 12 10 8 6 4 2 1
カテゴリー2級 20 15 12 10 8 6 4 3 2 1
カテゴリー3級 10 7 5 3 1
カテゴリー4級 5 3 1
 
2004年~
通過順位 1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
カテゴリー超級 20 18 16 14 12 10 8 7 6 5
カテゴリー1級 15 13 11 9 8 7 6 5
カテゴリー2級 10 9 8 7 6 5
カテゴリー3級 4 3 2 1
カテゴリー4級 3 2 1

[編集] 歴代総合優勝者

なお、主要部門賞受賞者については、

ツール・ド・フランス各部門賞受賞者一覧を参照

開催期間 総合優勝者(所属チーム) ステージ数 総距離 平均時速
1 1903年7月1日19日 モリス・ガラン フランス (La Française) 6 2,428km 25.679km/h
2 1904年7月2日24日 アンリ・コルネ フランス 6 2,429km 26.081km/h
3 1905年7月9日30日 ルイ・トゥルスリエ フランス (Peugeot) 11 2,994km 27.107km/h
4 1906年7月4日29日 ルネ・ポティエ フランス (Peugeot) 13 4,545km 24.463km/h
5 1907年7月8日8月4日 ルシアン・プティブルトン フランス (Peugeot) 14 4,488km 28.470km/h
6 1908年7月13日8月9日 ルシアン・プティブルトン フランス (Peugeot) 14 4,488km 28.740km/h
7 1909年7月5日8月1日 フランソワ・ファベール ルクセンブルク (Alcyon) 14 4,488km 28.658km/h
8 1910年7月3日31日 オクタブ・ラピーズ フランス (Alcyon) 15 4,737km 28.680km/h
9 1911年7月2日~30日 グスタブ・ガリグー フランス (Alcyon) 15 5,344km 27.322km/h
10 1912年6月30日7月28日 オディル・ドフレイエ ベルギー (Alcyon) 15 5,319km 27.894km/h
11 1913年6月29日7月27日 フィリップ・ティス ベルギー (Peugeot) 15 5,388km 26.715km/h
12 1914年6月28日7月26日 フィリップ・ティス ベルギー (Peugeot) 15 5,405km 27.028km/h
13 1919年6月29日~7月27日 フィルマン・ランボー ベルギー (La Sportive) 15 5,560km 24.054km/h
14 1920年6月27日7月25日 フィリップ・ティス ベルギー (La Sportive) 15 5,519km 24.132km/h
15 1921年6月26日7月24日 レオン・シウール ベルギー (La Sportive) 15 5,484km 24.720km/h
16 1922年6月25日7月23日 フィルマン・ランボー ベルギー (Peugeot) 15 5,372km 24.202km/h
17 1923年6月24日7月22日 アンリ・ペリシエ フランス (Automoto) 15 5,386km 24.428km/h
18 1924年6月22日7月20日 オッタビオ・ボテッキア イタリア王国 (Automoto) 15 5,425km 24.250km/h
19 1925年6月21日7月19日 オッタビオ・ボテッキア イタリア王国 (Automoto) 15 5,430km 24.820km/h
20 1926年6月20日7月18日 ルシアン・ビュイス ベルギー (Automoto) 17 5,745km 24.063km/h
21 1927年6月19日7月17日 ニコラ・フランツ ルクセンブルク (Alcyon) 24 5,321km 27.224km/h
22 1928年6月17日7月15日 ニコラ・フランツ ルクセンブルク (Alcyon) 22 5,375km 27.876km/h
23 1929年6月30日~7月28日 モリス・ドゥワエル ベルギー (Alcyon) 22 5,276km 28.320km/h
24 1930年7月2日~27日 アンドレ・ルデュック フランス (France) 21 4,818km 27.978km/h
25 1931年6月30日~7月26日 アントナン・マーニュ フランス (France) 24 5,095km 28.758km/h
26 1932年7月6日~31日 アンドレ・ルデュック フランス (France) 21 4,520km 29.313km/h
27 1933年6月27日~7月23日 ジョルジュ・スペシェ フランス (France) 23 4,396km 29.730km/h
28 1934年7月3日~27日 アントナン・マーニュ フランス (France) 23 4,363km 31.233km/h
29 1935年7月4日~28日 ロマン・マース ベルギー (Belgique) 21 4,338km 30.650km/h
30 1936年7月7日8月2日 シルベール・マース ベルギー (Belgique) 21 4,414km 30.912km/h
31 1937年6月30日~7月25日 ロジェ・ラプビー フランス (France) 20 4,415km 31.768km/h
32 1938年7月5日~31日 ジーノ・バルタリ イタリア王国 (Italie) 21 4,680km 31.565 km/h
33 1939年7月10日~30日 シルベール・マース ベルギー (Belgique) 18 4,225km 31.994km/h
34 1947年6月25日~7月25日 ジャン・ロビック フランス (Ouest) 21 4,642km 31.412km/h
35 1948年6月30日~7月25日 ジーノ・バルタリ イタリア (Italie) 21 4,922km 33.404km/h
36 1949年6月30日~7月21日 ファウスト・コッピ イタリア (Italie) 21 4,808km 32.119km/h
37 1950年7月13日~8月7日 フェルディ・キュプラー スイス (Suisse) 22 4,775km 32.778km/h
38 1951年7月4日~29日 ユーゴ・コブレ スイス (Suisse) 24 4,697km 32.979km/h
39 1952年6月25日~7月19日 ファウスト・コッピ イタリア (Italie) 23 4,827km 31.871km/h
40 1953年7月3日~26日 ルイゾン・ボベ フランス (France) 22 4,476km 34.593km/h
41 1954年7月8日~8月1日 ルイゾン・ボベ フランス (France) 23 4,865km 34.639km/h
42 1955年7月7日~30日 ルイゾン・ボベ フランス (France) 22 4,476km 34.639km/h
43 1956年7月5日~28日 ロジェ・ワルコビャック フランス (Nord-Est) 22 4,527km 36.268km/h
44 1957年6月27日~7月20日 ジャック・アンクティル フランス (France) 23 4,664km 34.520km/h
45 1958年6月26日~7月19日 シャルリー・ゴール ルクセンブルク (HOL-LUX) 24 4,319km 36.905km/h
46 1959年6月26日~7月19日 フェデリコ・バーモンテス スペイン (Esp) 22 4,358km 35.474km/h
47 1960年6月26日~7月17日 ガストネ・ネンチーニ イタリア (Italie) 21 4,173km 37.210km/h
48 1961年6月25日~7月16日 ジャック・アンクティル フランス (France) 21 4,397km 36.033km/h
49 1962年6月24日~7月15日 ジャック・アンクティル フランス (St-Raphaël) 22 4,274km 37.317km/h
50 1963年6月23日7月14日 ジャック・アンクティル フランス (St-Raphaël) 21 4,138km 36.456km/h
51 1964年6月22日~7月14日 ジャック・アンクティル フランス (St-Raphaël) 22 4,505km 35.419km/h
52 1965年7月8日~8月1日 フェリーチェ・ジモンディ イタリア (Salvarani) 22 4,188km 35.882km/h
53 1966年6月21日~7月14日 ルシアン・エマール フランス (Ford) 22 4,329km 36.819km/h
54 1967年6月29日~7月13日 ロジェ・パンジョン フランス (France) 22 4,779km 35.882 km/h
55 1968年6月27日~7月21日 ヤン・ヤンセン オランダ (Hollande) 22 4,492km 34.894 km/h
56 1969年6月28日~7月20日 エディ・メルクス ベルギー (Faema) 22 4,117km 35.296km/h
57 1970年6月27日~7月19日 エディ・メルクス ベルギー (Faema) 22 4,492km 34.894km/h
58 1971年6月26日~7月18日 エディ・メルクス ベルギー (Molten) 20 3,585km 37.290km/h
59 1972年7月1日~23日 エディ・メルクス ベルギー (Molteni) 20 3,846km 35.514km/h
60 1973年6月30日~7月22日 ルイス・オカーニャ スペイン (bic) 20 4,150km 33.407km/h
61 1974年6月27日~7月21日 エディ・メルクス ベルギー (Molteni) 22 4,098km 35.661km/h
62 1975年6月26日~7月20日 ベルナール・テブネ フランス (Peugeot) 22 4,000km 34.906km/h
63 1976年6月24日~7月18日 ルシアン・バンインプ ベルギー (Gitane) 22 4,098km 34.518km/h
64 1977年6月30日~7月24日 ベルナール・テブネ フランス (Peugeot) 22 4,096km 35.393km/h
65 1978年6月29日~7月23日 ベルナール・イノー フランス (Renault-Gitane) 22 3,908km 36.084km/h
66 1979年6月27日~7月22日 ベルナール・イノー フランス (Renault-Gitane) 24 3,765km 36.512km/h
67 1980年6月26日~7月21日 ヨープ・ズートメルク オランダ (Raleigh) 22 3,842km 35.068km/h
68 1981年6月25日~7月19日 ベルナール・イノー フランス (Renault-Gitane) 24 3,758km 37.844km/h
69 1982年7月2日~25日 ベルナール・イノー フランス (Renault-Gitane) 21 3,507km 37.458km/h
70 1983年7月1日~24日 ローラン・フィニョン フランス (Renault-Gitane) 22 3,860km 36.230km/h
71 1984年6月29日~7月22日 ローラン・フィニョン フランス (Renault-Gitane) 23 4,021km 34.906km/h
72 1985年6月28日~7月21日 ベルナール・イノー フランス (La Vie Claire) 22 4,109km 36.232km/h
73 1986年7月4日~27日 グレッグ・レモン アメリカ合衆国 (La Vie Claire) 23 4,084km 37.020km/h
74 1987年7月1日~26日 ステファン・ロシュ アイルランド (Carrera) 25 4,331km 36.644km/h
75 1988年7月4日~24日 ペドロ・デルガド スペイン (Reynolds) 22 3,286km 38.909km/h
76 1989年7月1日~23日 グレッグ・レモン アメリカ合衆国 (ADR) 21 3,285km 37.487km/h
77 1990年6月30日~7月22日 グレッグ・レモン アメリカ合衆国 (Z) 21 3,286km 38.621km/h
78 1991年7月6日~28日 ミゲル・インドゥライン スペインバネスト 22 3,914km 38.747km/h
79 1992年7月4日~26日 ミゲル・インドゥライン スペイン(バネスト) 21 3,983km 39.504km/h
80 1993年7月2日~25日 ミゲル・インドゥライン スペイン(バネスト) 20 3,714km 38.709km/h
81 1994年7月2日~24日 ミゲル・インドゥライン スペイン(バネスト) 21 3,978km 38.381km/h
82 1995年7月1日~23日 ミゲル・インドゥライン スペイン(バネスト) 20 3,635km 39.191km/h
83 1996年6月29日~7月21日 ビャルヌ・リース デンマークドイツテレコム 21 3,765km 39.235km/h
84 1997年7月5日~27日 ヤン・ウルリッヒ ドイツ(ドイツテレコム) 21 3,950km 39.237km/h
85 1998年7月11日~8月2日 マルコ・パンターニ イタリアメルカトーネ・ウノ 21 3,875km 39.983km/h
86 1999年7月3日~25日 ランス・アームストロング アメリカ合衆国USポスタル・サービス 20 3,687km 40.276km/h
87 2000年7月1日~23日 ランス・アームストロング アメリカ合衆国(USポスタル・サービス) 21 3,662km 39.545km/h
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